〜74年前、たった一発の原爆によって多くの尊い人命が奪われました〜「ピースアクションin広島」(2019.8.4〜6)、「ピースアクションin長崎」(2019.8.7〜9)を開催93日)
原爆ドーム前にて(ピースアクションin広島)
 フード連合では、平和を考える為の行動「ピースアクションin広島」、「ピースアクションin長崎」を毎年開催しています。
 今年の「ピースアクションin広島」は、全国から24単組62名が参加しました。8月4日は、@ビデオ学習「被爆の爪跡」、A小学校3年生(8歳)の時、爆心地から2.8 q離れた自宅で、2人の弟と飛行機の爆音を聞いて手を振っていた時に被爆した岡田恵美子さんからの原爆被害の実相証言、B朗読ボランティアによる「被爆体 験記・原爆詩の朗読」を、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館・研修室で行いました。
 翌5日は、ヒロシマピースボランティアの楢原泰一さん、福島正昭さん、宮本憲久さん、熊谷由利子さんの説明で、ピースウォーク「平和記念資料館、平和記念公園めぐり」、午後は「被爆建物めぐり」を行いました。
 その後、連合主催「連合2019平和ヒロシマ集会」に参加し、翌6日は広島市主催「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参加して、恒久平和を祈念しました。
被爆体験を語る岡田美恵子さん(広島) ヒロシマピースボランティア・楢原さんの説明を受け、被爆建物めぐりを行う(広島)

ピースアクション in 広島に参加して

四国シキシマパン労働組合 馬場 悟史

今回、2019年8月4日、5日に開催されたピースアクションin広島に参加させて頂きました。正直、参加する前は、毎年のニュースや文献、そしておぼろげながら覚えている小学校の修学旅行での記憶でしかその出来事を知りませんでした。
修学旅行の記憶も、当時小学生だった自分が、生々しく表現された資料館の展示物から目を背けるように通った、という記憶しかありません。
しかし実際に学習会やピースウォークに参加し、様々な体験した事で、子供の頃に知ることが出来なかった事実を知ることが出来ました。
今回のピースアクションで特に耳に残ったのが「時間が無い」と言う語り部の人達の言葉でした。被爆者の方は毎年亡くなっており、あの日を体験した方達は年々少なくなっています。
今回8歳で被爆された岡田様からお話を聞かせて頂きましたが、実体験をした方の言葉はやはり重く心に響き、記憶に残っています。
当時の様子を語られる一言一言に恐怖を感じ、実際に自分が体験しているような気持ちになり、そして改めて広島で起こった事実を考えさせられ、戦争の恐ろしさを痛感させられました。
平和な世界を作るにはどうしたらいいのか、二度とあの悲劇を起こさない為にはどうしたらいいのか。
「時間が無い」という言葉は、あの日の出来事を忘れさせない為にも、自分自身が後世に伝えていく為にも、限られた時間の中で何ができるのかを考えさせられる言葉でした。
今の世の中は、ネットで調べれば知りたいことをすぐ知ることが出来ます。
しかし、まず知りたいと思わなければ知ることが出来ません。
おそらく広島・長崎で起こった事実を知らない世代は増えていると思います。
どうすれば後世に知ってもらえるのか、知りたいと思ってもらえるのか。
私自身出来ることは少ないかもしれませんが、今回の体験を生かし、戦争の悲惨さ平和の大切さを後世に知ってもらう、知りたいと思ってもらえるよう行動していきたいと思います。


●ピースアクションin長崎(2019.8.7〜9)

平和公園入口にて(ピースアクションin長崎)
 「ピースアクションin長崎」は、全国から17単組74名が参加しました。8月7日は、@国民学校3年生(9歳)の時に自宅玄関先で被爆した羽田麗子さんから当時の世相と原爆被害の実相証言、A被爆直後の実写フィルム「ナガサキの少年少女たち」によるビデオ学習をセントヒル長崎・会議室で行い、翌8日は、平和ガイドの解説で、ピースウォーク「被爆建造物・慰霊碑めぐり」を行いました。
 その後、連合主催「連合2019平和ナガサキ集会」に参加し、翌9日は長崎市主催「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参加し、恒久平和を祈念しました。

 「平和運動は労働運動の礎である」――この「思い」を胸に、私たち自身の手で平和を守り、再び戦争の惨禍が起こることのないようにしなければなりません。
 被爆者の平均年齢が83歳をこえるなか、当時を知る方たちから直接お話を聞くことができなくなる日がいずれ近い将来訪れます。被爆者のメッセージを受取った方は、ぜひ地域で職場で平和への思いを拡げてください。
 「ピースアクション」は、9月の根室へと続きます。
被爆体験を語る羽田麗子さん(長崎) 平和ガイドの解説を聞きながら、被爆建造物・慰霊碑を巡る(長崎)

ピースアクションin長崎に参加して

ニッスイアドベンチャークラブ 仲 希祥

 今回初めてピースアクションに参加させていただきました。私は、広島出身のため子供のころから平和学習によって広島に投下された原爆について学んでいましたが、長崎に投下された原爆による被爆規模や被害状況の詳細については深く知りませんでした。そのため、今回のピースアクションで被爆体験者の羽田さんのお話を伺うことで、子供のころに学んだ広島の原爆被害も思い出し、改めて理不尽さや悲壮感に打ちひしがれました。またその中で、広島での被爆状況が長崎に伝わる前に原爆が落とされたことを知りました。一瞬にして多くの人の命を奪う原爆を、なぜ2つの地に落とす必要があったのか。1つの地で過去に類をみない甚大な被害が出たのにもかかわらず、なぜその犠牲を増やすのか。本当に許されることではなく、「なぜ」という疑問しか沸きません。ピースウォークにて平和公園や旧国民学校、原爆資料館を訪れ、写真や資料を通して当時の状況を確認ができたことからも、改めて考えさせられました。

 そして、今回心に残ったフレーズが2点ありました。
 1点目は、「平和があってはじめて、賃金・労働条件の要求ができる」ということです。社会全体が平和であるからこそ、私たちは職場で安心して働くことができ、賃金・労働条件の改善を求められることを改めて理解しました。
 2点目は、「現在は食べ物の選択ができる」ということです。当時は食べることさえままならない時代でした。「食べ物」に携わる仕事に従事する我々だからこそ、当時の思いや状況を見つめることで、「食べ物」を大切に取り扱い、フードロスの取り組みについて改めて啓発活動などを実施する必要性を感じました。

 今後は実際に戦争や原爆を体験された方々はどうしても減っていきます。核兵器を保有する国がある中、今を「戦前」にしないためにも、私たちが中心になって、正しい知識を身につけて後世に語り継いでいくべきだと深く心に刻みました。