「地形が変わるほど激しく砲弾を撃ち込まれた。全てを破壊し奪い去る戦争が沖縄であった事を知っていますか」〜ピースアクションin沖縄2019.6.21〜23〜79日)
沖縄基地問題について講話をする前泊 博盛氏
沖縄は、太平洋戦争の折、日本で唯一住民を巻き込む地上戦があった地です。日米両軍兵士だけではなく、民間人が戦闘に巻き込まれ、多くの尊い命が失われました。
 フード連合では、平和を考えるための行動「ピースアクションin沖縄」を毎年開催しており、今年は全国から60名(14単組)が参加しました。
 1日目「平和を考える学習会」では、「標的の村」と題した沖縄基地問題に関するビデオを見て、その実相を学びました。
 続いて、沖縄国際大学教授の前泊 博盛氏から、「日米地位協定と米軍基地」についての講話があり、参加者は沖縄における多くの問題点を含む不平等協定や、移設問題、オスプレイ配備問題などの基地問題に、正しく向き合うことの必要性について理解を深めることができました。

2019ピースアクションin沖縄に参加した全員が沖縄の過去と現在を見聞し、未来に向けて平和の尊さとは何かを学びました
 2日目は、平和ガイドの本村文代さん・本村光雄さんのガイドで、74年前激戦地であった南部戦跡(嘉数高台、糸数壕(アブチラガマ)、平和祈念公園、平和記念資料館、ひめゆりの塔、ひめゆり平和祈念資料館)を歩き、過去の追体験をしました。

 3 日目は、連合主催「連合2019平和オキナワ集会」に参加しました。集会では、「他国地位協定調査について」をテーマとし島袋 秀樹氏の講演後、平和式典が開催されました。フード連合からの参加者を含め、地元沖縄県のみならず全国から1,000名を超える人々が参加し、平和を祈念しました。
 「ピースアクション」は、8月の広島、長崎、9月の根室へと続きます。

参加者の感想

「自分の愛する者、子どもや孫に同じ経験をさせていいのか」沖縄の切なる思い

キッコーマン労働組合 阿部 正和

 「自分の愛する者、子どもや孫に同じ経験をさせていいのか」。
 平和ガイドの方からの言葉で、今回の「ピースアクションin沖縄」で最も私の心に重く響いた言葉でした。国内唯一の地上戦を経験した沖縄では、住民は日本軍の作戦に従い行動していました。しかし、日本軍は守ってくれないばかりか、日本軍を守るための駒として利用されることもありました。現在沖縄には日本国内の米軍専用基地の74%が存在しています。74年経った今でも沖縄は苦しみを押し付けられており、平和ガイドの方の言葉としても、こうした想いが語り継がれていました。
 喜数高台公園の高台から初めて普天間基地を見ました。波打って使い物にならない滑走路、その脇にはオスプレイの姿もはっきりと見えました。私たちの税金はこうした米軍用施設や米軍基地で働く従業員の給与、ガス水道光熱費にまで使われています。今でもTVや新聞では「普天間基地移設問題」等、取り上げられています。正直、今回の「ピースアクションin沖縄」に参加するまでは、他人事のように聞き流していました。しかし、普天間基地を目の前にした時、私には基地の移設を喜ぶ米軍の顔と、住宅街の中心に基地がある恐怖と闘う沖縄県民の気持ちが、基地と住居を境にぶつかり合っている光景として浮かび上がり、複雑な思いにかられました。
 南城市糸数アブチラガマは全長270mの真っ暗な洞窟であり、当初は住民の避難壕として使用されていました。しかし戦局が厳しくなると日本軍の基地・陸軍病院分室が置かれ、雑居状態になりました。住民の生活地域は洞窟出入口付近に指定され、米軍からの攻撃を受けやすい、最も危険な場所に置かれました。日本軍の住民への監視も厳しく、住民が壕から出るなど怪しい行動をすると、日本軍から撃たれることもあったそうです。また、赤ん坊が泣いていると「敵に見つかるから殺せ、もしくは出ていけ」と迫られるような事態も起こっていたと言われています。平和ガイドの方も「戦争で弱者になるのは必ず住民」「軍隊は住民を守らない」という言葉を何度も口にしていましたが、その言葉の意味がよく分かりました。実際に私たち参加者も懐中電灯の明かりを消し、当時の状況を追体験しましたが、壁から滴る水滴の音・息遣い・血や汗、糞尿の悪臭など、周囲は今にも蘇りそうな空気に包まれました。暗闇・砲弾の音・背後からの恐怖を感じながら生きていく精神状態は、想像を絶するものだったと思います。
 今回の平和行動を通じて、同じ経験を後世にさせないためにも、どんな未来を作るのかは私たち一人ひとりが何を考え、どう行動するかにかかっていると思います。考えることを止めたら、そこで最後です。そのためにも過去に何があったかを知っただけで満足せず、戦争の悲惨さを次の世代に伝えていくことの大切さを強く感じる機会となりました。