〜知ることが平和な世界を築く第一歩となる〜「ピースアクションin広島」(2018.8.4〜6)、「ピースアクションin長崎」(2018.8.7〜9)を開催823日)
原爆ドーム前にて(ピースアクションin広島)
 フード連合では、平和運動推進に向けた行動「ピースアクションin広島」、「ピースアクションin長崎」を毎年開催しています。
 今年の「ピースアクションin広島」は、全国から109名(事務局含む)が参加しました。8月4日は、@ビデオ学習「被爆の爪跡」、A小学校3年生(8歳)の時、爆心地から2.8 q離れた自宅で、2人の弟と飛行機の爆音を聞いて手を振っていた時に被爆した岡田恵美子さんからの原爆被害の実相証言、B朗読ボランティアによる「被爆体 験記・原爆詩の朗読」を、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館・研修室で行いました。
 翌5日は、ヒロシマピースボランティアの楢原泰一さん、福島正昭さん、小野久仁子さん、青山浩志さんの説明で、ピースウォーク「平和記念資料館、平和記念公園めぐり」、午後は「被爆建物めぐり」を行いました。
 その後、連合主催「連合2018平和ヒロシマ集会」に参加し、翌6日は広島市主催「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参加して、恒久平和を祈念しました。
被爆体験を語る岡田美恵子さん(広島) ヒロシマピースボランティア・楢原さんの説明を受け、被爆建物めぐりを行う(広島)

ピースアクションin広島に参加して

日本ハムユニオン 中島 健志

 「行ってきます」
 それが大事な人と交わした最期の言葉となってしまう事を想像できるでしょうか。1945年8月6日8時15分、真夏の朝の通勤時間帯。広島に投下された原子爆弾は14万人を超える無数の尊い命を奪い、後遺症に苦しむ多くの被爆者や6千人の孤児、その後の広島の治安の悪化を引き起こしました。
 私たちは語り部の方のお話や、「追体験」という形で当時の暑さを肌で感じながら原爆の爪跡残る爆心地を歩き、ピースボランティアである楢原さんのお話から当時の惨禍を学びました。「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」。原爆死没者慰霊碑に刻まれているこの言葉を巡っては様々な議論があるそうですが、二度とヒロシマ・ナガサキの悲劇が起きてはならない事を強く再認識しました。
 しかし現実には世界に未だ1万5千発近くの核兵器が残っています。その一方で、全国の被爆者数は15万人台まで減少しており、年間ではおよそ1万人の被爆者の方がお亡くなりになっています。
 当たり前の平和の中に生き、働き、笑顔で日々を過ごしている私たちが平和の灯をともし続ける為に今出来ることは、核兵器の残酷さを知り、広く伝えていくことです。
 一人ひとりの思いを大きな声として発信する事の出来る労働組合だからこそ、平和の尊さに触れられるこの活動に今後より多くの方が組織の垣根を越え参画し結集する事が、核兵器廃絶に向けた大きな一歩になるのではないでしょうか。今後も平和活動の輪を拡げるべく、私自身も参加して終わるだけではなく、自組織内でその重要性を伝えていきたいと思います。


●ピースアクションin長崎(2018.8.7〜9)

原爆資料館入口にて(ピースアクションin長崎)
 「ピースアクションin長崎」は、全国から71名(事務局含む)が参加しました。8月7日は、@国民学校3年生(9歳)の時に自宅玄関先で被爆した羽田麗子さんから当時の世相と原爆被害の実相証言、A被爆直後の実写フィルム「ナガサキの少年少女たち」によるビデオ学習をセントヒル長崎・会議室で行い、翌8日は、平和ガイドの解説で、ピースウォーク「被爆建造物・慰霊碑めぐり」を行いました。
 その後、連合主催「連合2018平和ナガサキ集会」に参加し、翌9日は長崎市主催「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参加し、恒久平和を祈念しました。

 「平和運動は労働運動の礎である」――この「思い」を胸に、私たち自身の手で平和を守り、再び戦争の惨禍が起こることのないようにしなければなりません。
 被爆者の平均年齢が82歳をこえるなか、当時を知る方たちから直接お話を聞くことができなくなる日がいずれ近い将来訪れます。被爆者のメッセージを受取った方は、ぜひ地域で職場で平和への思いを拡げてください。
 「ピースアクション」は、9月の根室へと続きます。
被爆体験を語る羽田麗子さん(長崎) 平和ガイドの解説を聞きながら、被爆建造物・慰霊碑を巡る(長崎)

ピースアクションin長崎に参加して

レアールパスコベーカリーズ労働組合 坂本 由己

 私は、労働組合の執行委員になってピースアクションに初めて参加させて頂きました。

 長崎に原爆が投下され、多くの方が犠牲になられた事は子供の頃からテレビや新聞等で知ってはいましたが、あまり身近に感じる事はありませんでした。
 今回のピースアクションで被爆体験者の羽田さんのお話を伺って、最初は小倉に原爆を投下する予定だったものが、上空に靄が掛かっていた為に、第二候補地であった長崎に投下された事など、当時の戦争の理不尽さも知りました。
 原爆の被害では、熱線、爆風、放射能の3つがあり、爆心地付近の温度は3千〜4千度にも達し、73,000人もの方が亡くなり、74,000人もの方が負傷されています。
 73年経った今も被爆され、苦しんでいる方がいると聞きました。
 その方々を思うと、胸が苦しくなり、一瞬にして多くの人の命を奪った原爆が憎いです。
 原爆(ファットマン)の模型を見たときには、怒りすら覚えました。

 最初は「どうして労働組合の活動の中で平和運動を行うのか?」正直疑問に思っていましたが、今回平和活動に参加して、社会全体が平和で豊かでなければ、私達の職場でも安心して働くことができず、「平和があってはじめて、賃金・労働条件の要求ができる」のだと、納得することができました。

 語り部の方も、高齢化が進み、被爆体験者が減ってきているそうです。
 今後は、私たちが若い世代へこの戦争の悲惨さを伝えていかなければならないと思いました。
 絶対に繰り返してはいけないと・・・