〜あの悲惨な出来事を風化させないために〜「ピースアクションin広島」(2017.8.4〜6)、「ピースアクションin長崎」(2017.8.7〜9)を開催94日)
被爆したアオギリの木の前にて(ピースアクションin広島)
 フード連合では、平和運動推進に向けた行動「ピースアクションin広島」、「ピースアクションin長崎」を毎年開催しています。
 今年の「ピースアクションin広島」は、全国から77名(事務局含む)が参加しました。8月4日は、@ビデオ学習「被爆の爪跡」、A小学校3年生(8歳)の時、爆心地から2.8km離れた自宅で、2人の弟と飛行機の爆音を聞いて手を振っていた時に被爆した岡田恵美子さんからの原爆被害の実相証言、B朗読ボランティアによる「被爆体 験記・原爆詩の朗読」を、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館・研修室で行いました。
 翌5日は、ヒロシマピースボランティアの楢原泰一さん、福島正昭さん、小野久仁子さんの説明で、ピースウォーク「平和記念資料館、平和記念公園めぐり」、午後は「被爆建物めぐり」を行いました。
 その後、連合主催「連合2017平和ヒロシマ集会」に参加し、翌6日は広島市主催「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参加して、恒久平和を祈念しました。
被爆体験を語る岡田美恵子さん(広島) ヒロシマピースボランティア・楢原さんの説明を受け、被爆建物めぐりを行う(広島)

「2017フード連合ピースアクションin広島」参加報告書

サッポロビール労働組合 深谷 沙紀

 今回初めてピースアクションIN広島に参加させていただきました。
 今まで私は日本に原爆を落とされたということしか知りませんでしたが、語り部の岡田さんの話を聞き、とても大きな衝撃を受け原爆の恐ろしさを痛感しました。戦争を知らない人が増えている今の世の中、このような話はとても貴重なものであるとともに、この話、体験を伝えていくこと、そして二度と戦争をしてはいけないと強く感じました。
 ピースアクションIN広島に2日間参加してみて、原爆の恐ろしさ、また平和であることのありがたさを実感することができました。このことを家族や友人など周りの人にきちんと伝えていきたいと思います。
 貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

サッポロビール労働組合 郷原 颯

 私は今回初めてピースアクションへ参加をしました。このピースアクションに参加するまでは、広島への原爆投下を学校で習った歴史上の一つの出来事としか思っていませんでした。しかし、今回参加しいろいろな方々のお話を聞き、さまざまな被爆建物を巡るたびに戦争の悲惨さ、原爆の悲惨さを感じました。昼休憩でご飯を食べに出歩いたときにふと「72年前もこんな風に普通に歩いているときにあんなことが起きたのだろう。」と考えが出て、今このときそんなことが起こらない平和な時を過ごせていることに感謝をし、大切に感じなくてはならないと思いました。そして、今後も平和な時が続くように世界中から早く戦争や核兵器がなくなることを願っています。


●ピースアクションin長崎(2017.8.7〜9)

キッズゲルニカ前にて(ピースアクションin長崎)

 「ピースアクションin長崎」は、全国から68名(事務局含む)が参加しました。8月7日は、@国民学校3年生(9歳)の時に自宅玄関先 で被爆した羽田麗子さんから当時の世相と原爆被害の実相証言、A被爆直後の実写フィルム「ナガサキの少年少女たち」によるビデオ学習をセントヒル長崎・会議室で行い、翌8日は、平和ガイドの解説で、ピースウォーク「被爆建造物・慰霊碑めぐり」を行いました。
 その後、連合主催「連合2017平和ナガサキ集会」に参加し、翌9日は長崎市主催「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参加し、恒久平和を祈念しました。

 「平和なくして組合活動なし」――この「思い」を胸に、私たち自身の手で平和を守り、再び戦争の惨禍が起こることのないように決意を新たにしなければなりません。
 被爆者の平均年齢が81歳をこえるなか、当時を知る方たちから直接お話を聞くことができなくなる日がいずれ近い将来訪れます。被爆者のメッセージを受取った方は、ぜひ地域で職場で平和への思いを拡げてください。


被爆体験を語る羽田麗子さん(長崎) 平和ガイドの解説を聞きながら、被爆建造物・慰霊碑

「2017フード連合ピースアクションin長崎」参加報告書

不二製油労働組合 大家 一洋

 今回8月7日、8日の日程で2017フード連合ピースアクションin長崎に参加させて頂きました。
 私が長崎入りする8月7日、迷走を続けていた台風5号が出発地である大阪を直撃するという予報が前週から出ており、果たして長崎に予定通りたどり着けるのかドキドキしておりましたが、当日は大雨の中、無事飛行機は離陸し長崎入りすることができました(私が乗った飛行機以降は全て欠航になってしまいましたが…)
 長崎についてですが、72年前に広島・長崎に原爆が投下された事は小学校での教育で習っていましたが、その被害や惨状などは恥ずかしながら殆ど知らず、現在の長崎は綺麗な街並み、自然豊かな街という印象でした。
 今回の語り部・羽田さんのお話では生々しい戦時中の暮らし、空襲、原爆の恐ろしさ、家族がいる幸せを語って頂きました。何不自由なく当たり前のように平和な世の中で育った私にとっては衝撃的で平和について深く考えていなかった自分自身が非常に恥ずかしく思いました。
 またピースウォークでは被爆建造物を巡り約3時間歩きましたが、当時の被爆者たちは自身がケガを負っても尚、暑い夏の長崎を歩き続け逃げたと聞き、さらに衝撃を受けました。
 戦争は勝っても負けても不幸になり、人の心も体も傷つく。
 平和であることは当たり前ではなく、今も世界では戦争や核の保有が存在します。
 日本が平和な国として、世界唯一の被爆国として、私自身も平和とは何かを考え、命の尊さ、戦争の悲惨さ、戦後72年たったがそれを風化させない事を今回の体験を基に周りにも伝えていきたいと思います。
 最後になりましたが、今回このような貴重な体験をさせて頂き関係者の皆さまには感謝致します。この場をお借りしてお礼申し上げます。