中四国・九州ブロックが第39回5・15平和行進に参加しました61日)
フード連合の仲間たち
 第39回5・15平和行進が13日午前9時30分、県内の東、西、南の3コースで一斉にスタートした。国内外から1250人が参加し、71年前に地上戦が行われた沖縄の地を歩きながら、平和への思いを新たにした。
1945年6月23日沖縄戦は終結し、1952年4月28日サンフランシスコ平和条約が発効されましたが、沖縄は27年間米軍支配下におかれました。1972年5月15日沖縄は日本に復帰しました。しかし、復帰44年経った今も広大な基地はそのまま残り、在日米軍専用基地の74.5%が沖縄に集中し、基地から発生する事件や事故は後を絶たず、日常的に沖縄県民は危険にさらされています。「基地も核も戦争もない21世紀の世界を実現しよう」それぞれが色々な思いを持って全国各地から参加して行われました。
 私たちフード連合の仲間は15日参加者780名と共に南コース奥武山運動公園をスタートし那覇市の新都心公園までの6.1kmを行進しました。「米軍基地の強化反対」「平和な沖縄を勝ち取ろう」などと声を合わせた。フード連合の仲間は延べ148名が参加し「平和と暮らしを守る県民大会」の会場まで力強く行進しました。

(フード連合 沖縄地区協議会 事務局長 知花幸明(沖縄森永乳業労働組合))

沖縄で平和への思いを新たにしながら、力強く行進
参加者感想文

 5月13日〜15日の3日間にかけて平和行進に参加しました。13日から始まった平和行進で私たち全糖労は南コースを行進しました。南部と言えば沖縄戦では激戦地でもあったこともあり、行進しながら戦跡地摩文仁の「ひめゆりの塔」「平和祈念公園」等を目の当たりにし、改めて戦争の悲惨さや、戦争のない平和な世界を実現しなければならないと感じました。行進者全員が平和を願う気持ちをシュプレヒコールで訴えながら、時には皆で励まし合いながら3日間45km最後まで完歩できました。
最後にフード連合中四国・九州・沖縄の仲間との交流会に参加し、親睦を深めました。
戦後71年・復帰44年5・15平和行進に参加された仲間の皆様大変お疲れ様でした。
     (全沖縄製糖労働組合 石垣製糖支部 豊見本優樹さん)


 私の住む地元広島では、小学生の頃から毎年8月には平和学習が行われます。原爆の日の体験談を元にしたアニメ映画を全学年で鑑賞し、実際に広島で起きたことを学びます。幼い頃に見た映像は、アニメになっているとはいえ衝撃的で、その夜は恐怖で眠れなかったのを覚えています。大人になった今でも、戦時中を題材にした作品を見たり、体験談を聞くのは苦手です。そんな私が今回、沖縄での平和行動に参加したのは、「日本で実際に起こった、過去の悲惨な出来事をきちんと知る必要がある」と感じたからです。
 しかし、14-16日の活動は、覚悟していた以上に内容の濃いものでした。戦跡や平和公園、資料館で感じた戦争の悲惨さ、恐怖はもちろんですが、今まで深く考えたことがなかった米軍基地の問題など、沖縄に今なお残る戦争の爪跡についても改めて学びました。歴史の教科書の中の、単なる過去の出来事としてではなく、多くの命が犠牲になったということ、そして今でも苦しんでいる人が大勢いるということに改めて気づくことができました。
 普段の生活をしていると目の前にあることで精一杯で、考えもしないことを学ぶ機会をいただけたことに感謝しています。
     (中国醸造労働組合(広島地区協) 堀いくみさん)


・第39回5.15平和行進、平和学習、南部戦跡巡りについて
今回、社会人となって初めて参加する事が出来ました。普段の生活の中に「戦争」が身近なものではない為、深く考える機会もなく平和な日々を当たり前に過ごしていた自分と、今でも、平和な生活が無くなる不安と戦っている人たちが身近にいる事を知らずに、恥ずかしく思えました。戦争でたくさんの命が無くなり平和の大切さが叫ばれている中での、憲法第9条の改定法案、オスプレイ配備など平和とは逆の取組みに対して国はどう考えているのか解らなくなりました。ただし、日本がこれからも栄えて行く為には、人の命を軽視した上で成り立つ事は出来ないと感じました。私には、小学生になる子供がいます。今年、修学旅行で長崎平和公園など平和学習の機会もあり家族で平和について考えて、微力ながら出来ることからやりたいと思いました。
・交流会について
フード連合の仲間として、たくさんの他企業交流となり良い刺激となりました。沖縄森永乳業工場見学からビーチパーティ、沖縄地区協の仲間たちと沖縄文化にも触れる事が出来て旅行では味わう事の出来ない体験が出来た事が大変うれしく思いました。
     (サッポロビール労働組合 九州日田支部(大分地区協) 梶原和人さん)