【参加の感想が届きました】「ピースアクションin広島」「ピースアクションin長崎」を開催924日)
写真はピースアクションin広島
平和運動推進に向けた行動「ピースアクションin広島」(2014.8.4〜6)、「ピースアクションin長崎」(2014.8.7〜9)を開催

 フード連合では、平和運動推進に向けた行動「ピースアクションin広島」、「ピースアクションin長崎」を毎年開催しています。
 今年の「ピースアクションin広島」は、全国から76名が参加。8月4日は、@ビデオ学習「被爆の爪跡」、A小学校3年生(8歳)の時、爆心地から2.8q離れた自宅で、2人の弟と飛行機の爆音を聞いて手を振っていた時に被爆した岡田恵美子さんからの原爆被害の実相証言、B朗読ボランティアによる「被爆体験記・原爆詩の朗読」を、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館・研修室で行いました。
 その後、被爆建物である「広島アンデルセン(旧帝国銀行広島支店)」にて平和を考える交流会を行いました。
 翌5日は、ヒロシマピースボランティアの楢原泰一さん、福島正昭さん、小野久仁子さんの説明で、ピースウォーク「平和記念資料館、平和記念公園めぐり」、午後は希望者のみ「被爆建物めぐり」を行いました。
 平和記念公園では、地下室が被爆当時のまま保存されている大正屋呉服店(太平洋戦争開始後、燃料配給統制により燃料会館として使用。現在はレストハウス。)にヘルメットをかぶって入り、69年前の追体験をしました。
 その後、連合主催「連合2014平和広島集会」に参加し、翌6日は広島市主催「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」に参加して、恒久平和を祈念しました。

写真はピースアクションin長崎
 「ピースアクションin長崎」は、全国から65名が参加。8月7日は、@国民学校3年生(9歳)の時に自宅玄関先で被爆した羽田麗子さんから当時の世相と原爆被害の実相証言、A被爆直後の実写フィルム「ナガサキの少年少女たち」によるビデオ学習、翌8日は、前日に引き続き、羽田さんの解説で被爆建造物・慰霊碑めぐりピースウォークを行いました。
 8日午後は、広島と同じく連合主催「連合2014平和長崎集会」に参加し、翌9日は長崎市主催「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参加し、恒久平和を祈念しました。
 「平和なくして組合活動なし」――この「思い」を胸に、私たち自身の手で平和を守り、再び戦争の惨禍が起こることのないように決意を新たにしなければなりません。
 来年は、終戦後70年目の大きな節目を迎えます。被爆者の体験を後世に伝えることが、我々の務めではないでしょうか。


〜参加者の感想が届きました〜(2014.9.24更新)

◆ピースアクションin広島に参加して
            ニチレイ労働組合 伊東 亜矢子


 今回はじめてピースアクションに参加させていただきました。私が参加した広島では、69年前の8月6日8時15分に原爆が投下され、一瞬にして多くの命が奪われました。
 いまの広島からは想像できない惨状がそこに広がっていたのです。

 語り部の岡田恵美子さんは、8歳の時に被爆され当時12歳のお姉さんを失いました。
爆風と熱線により、多くの遺体や遺骨は家族の元に戻ることなく、いまだ岡田さんのお姉さんの遺骨も見つかっていません。岡田さんは30年に渡り日本のみならずアメリカでも被爆体験を語り続け、世界平和を呼びかけています。
戦後69年、あの日の出来事を知る人が少なくなっている中、世界で唯一の被爆国日本に住む私たちが戦争の恐ろしさ、原子爆弾の悲惨さ、いまもなお続く被爆者の苦しみを伝えなければならないと感じました。

 広島平和記念資料館の中には賑やかだった当時の街並みの模型があり、それが一瞬にして破壊されたとおもうと、爆風と熱線の凄まじさがいかに恐ろしいものかと思いました。その脅威を、焼け焦げた衣服や大きく折れ曲がった鉄骨などから目の当たりにし、被爆者の苦しみ悲しみ怒りを思うと胸が苦しくなりました。
たった1発の原爆が平和を壊すのです。
かつて学生時代に戦争や原爆の恐ろしさについて学びましたが、今回あらためて岡田さんのお話や、資料館・被爆した建物などをボランティアの方の解説を交えて見学することによって、教科書には書ききれない表現しきれない当時の状況を知ることができました。

 世界にはまだ17,300発もの核兵器があります。この恐ろしい核兵器が2度と使われることのないよう、2度とこんな辛く悲しいおもいをする人々を増やさないよう、私たちにできることは何かを考えさせられる3日間でした。
多くの方にピースアクションに参加してもらい、この経験を通してそれぞれに感じたことを職場や家族、周りの方に伝えてもらうことで、平和なことがいかに幸せか平和へのおもいが広がっていくことを願います。

 語り部の岡田さん、朗読ボランティア・ピースボランティアのみなさま、事務局の方々、大変お世話になりありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。

◆ピースアクションin長崎に参加して
          長工醤油味噌労働組合 吉村 拓也


 今回、ピースアクションin長崎に1日目だけ参加させてもらいました。
 小学校の時から平和学習で原爆について詳しく教えられてきました。ただ、社会人になるとそういった平和について考える機会があまりなく、ただ黙とうだけして終わっていたので今回はまた、改めて考えさせられるいい機会だと思いました。
 長崎に原爆が投下されてから、69年が過ぎ、そんなことがあっていたとは考えられないくらい平和な長崎になったと思います。
 平和になったのはいいですが、この事を次の世代の人たちにも語り継いで、風化させない、絶対忘れないようにしていくことが一番大切な事です。そのためにも、誰かがじゃなくて自ら進んで平和活動に参加して、子供たちに、忘れかけている大人たちに伝えていく必要があると思います。

 今回は語り部の羽田麗子さんに当時の原爆の被害状況や、当時の世相等についてお話を聞かせてもらいました。
 話を聞いていく中で、学生の頃に平和学習で聞いていた時と今社会人になって聞かせてもらうのでは、少し違うような気がしました。これが自分に子供ができたりすると子供の事を考えたりしてもっと考え方が変わってくるだろうなと思います。
 そして被爆者の方の数も年々減っていっており、被爆者の平均年齢が今年で79.44歳となりました。実際に直接被爆者の方にお話を聞けるのも時間が経つにつれて難しくなってき、体験の継承が難しくなりつつある現状が浮き彫りになっています。
被爆者の方からお話を聞いた方は、そのメッセージを知人や周りの人たちに伝えていき、平和の輪をもっと広げていけたらいいなとおもいます。そして決して忘れることのないようにしましょう。
 まだまだ世界的にみたら平和な国は少なく、内戦や紛争等が繰り返されている国々がたくさんあります。核兵器だって長崎に落とされた原爆よりも比べものにならないくらいの物だってたくさんあります。
 正直なところ、核兵器根絶はまだまだかなりの時間がかかると思いますし、戦争もすぐはなくならないと思います。
ですがこうやって平和な国が訴え続ける事によって、なんらかの変化は絶対にでてくると思います。
二度と長崎、広島でおきた事をおこさないため、おこしたくないために、今自分のできる範囲の平和活動には積極的に取り組んでいこうと思います。
 今回は1日だけでしたけどピースアクションに参加させていただき、とても貴重な体験ができ本当に良かったと思っています。ありがとうございました。