66年前 原子爆弾で 広島の街が 長崎の街が 火葬場に 墓場に なりました
  ― ピースアクションin広島 2011年8月4〜6日 ―
  ― ピースアクションin長崎 2011年8月7〜9日 ― 825日)
山里小学校防空壕前 小学校の子どもたちが飛び入り【長崎】
 一発の原子爆弾による熱線と爆風と放射線により、広島14万人余、長崎7万人余の方が亡くなりました。原爆による被害の特質は、大量破壊と大量殺戮が瞬時に無差別に引き起こされることです。たくさんの犠牲のうえに今の平和があります。

― 広島 ウラン型原子爆弾 1945年8月6日午前8時15分
― 長崎 プルトニウム型原子爆弾 1945年8月9日午前11時2分

被爆体験を語る梶本淑子さん【広島】 朗読ボランティアの方たちと原爆詩の朗読をする【広島】

 フード連合では、平和運動推進に向けた行動「ピースアクションin広島」、「ピースアクションin長崎」を毎年開催しています。

「原爆は島病院の上空600mで炸裂」と解説する楢原さん【広島】

 「ピースアクションin広島」では、今年は全国から88名が参加。8月4日は、@ビデオ学習「被爆の爪跡」、A安田高等女学校3年生14歳の時、爆心地から北西2.3q離れた学徒動員先の工場1階で飛行機のプロペラ部品を造る作業中に被爆した梶本淑子さんからの原爆被害の実相証言、B朗読ボランティアによる「被爆体験記・原爆詩の朗読」を国立広島原爆死没者追悼平和祈念館・研修室で行いました。梶本さんは「死体をまたいで逃げるような体験はもう誰にもしてほしくない。今の平和が一日でも永く続くよう、広島で学んだことを波紋のように広げていってほしい」と語られました。
 その後、連合・原水禁・核禁会議 共同主催による「核兵器廃絶2011平和ヒロシマ大会」に参加し、被爆建物である「広島アンデルセン(旧帝国銀行広島支店)」で平和を考える交流会を行いました。

原爆投下前の中島地区を解説する福島さん【広島】
原爆投下中心地【長崎】

 翌日8月5日は、ヒロシマピースボランティアの楢原泰一さんと福島正昭さんの説明で、ピースウォーク「平和記念公園めぐり(午前中)」、「被爆建物めぐり(午後)」を行いました。被爆建物めぐりでは、広島城内にある「中国軍管区司令部跡」の中に入り、66年前の追体験をしました。

 「ピースアクションin長崎」では、全国から71名が参加。8月7日は、@国民学校3年生9歳の時に自宅玄関先で被爆した羽田麗子さんから当時の世相と原爆被害の実相証言、A被爆直後の実写フィルム「ナガサキの少年少女たち」によるビデオ学習、B広島と同じく3団体共同主催の「核兵器廃絶2011平和ナガサキ大会」に参加しました。翌日8月8日は、前日に引き続き、羽田さんの解説で被爆建造物・慰霊碑めぐりピースウォークを行いました。

山里小学校に立つ「あの子らの碑」を解説する羽田さん【長崎】
次代を見る子どもたちの瞳【長崎】

 羽田さんは「長崎では高校生がおばあちゃんの被爆体験の話から自分たちで何ができるかを話し合い、『微力だけれど無力ではない』を合言葉に核兵器廃絶を訴える署名活動を始め10年目になる。千里の道も一歩からの例えのように、核を使わせない、戦争をさせないと声をあげて行動すれば、必ず核兵器がなくなる日が来る。毎日を大切に生きて、平和を大切に思ってほしい。」と話されました。
 今年、被爆者の平均年齢は77歳を超しました。悲しいことに、残念なことに、被爆者の話を直接聞くことのできなくなる日が近い将来訪れます。被爆者のメッセージを受取った方は、地域で職場で平和への思いを拡げてください。

「戦争の残酷さを風化させないために、平和活動を継続し、
様々な方に参加してほしい」
J-オイルミルズ労働組合 増田智一
本川小学校前で、J‐オイルミルズ労組の増田さん親子【広島】

 初めてのピースアクション広島は、小学2年の娘と小学5年の息子を引き連れて参加させていただきました。子ども達には少し難しいのではないかという不安がありましたが、私達以外にも子ども連れの参加者が複数いたため、子ども向けに説明をしていただく場面もあり、関係者の方々の心遣いが非常にありがたかったです。

梶本さんの話を描写した絵画【広島】

 初日は語り部(かたりべ)の方の話を聞かせていただきました。私がこれまでに持っていた原爆のイメージは「はだしのゲン」という原爆を扱った漫画の一場面の記憶で、被爆者が放射能の後遺症に悩むシーンであり、原爆から受けるダメージの大半が放射能によるものという印象をもっていました。しかし、原爆投下直後を体験している語り部の話で、爆発で発生する熱風や爆風による被害の状況を聞くとその恐ろしさに息を呑まずにはいられませんでした。腕の皮がすべて剥げ落ち布切れのように垂れ下がった被爆者や、黒焦げの赤ん坊を抱き抱える血まみれの母親。そしてその母親は語り部の目の前で倒れて亡くなられたとのことでした。

被爆建物のレストハウス(大正屋呉服店)の地下室に入る【広島】

 2日目は資料館、平和公園及びその他の被爆施設を見学しました。帰宅した後に家族で話ししたところ、その中で娘の印象に残ったのは、資料館に置かれていた1台の三輪車とのことでした。亡くなった小さな息子がさびしい思いをするのはかわいそうと思い、両親はその三輪車とお気に入りのヘルメットを一緒に埋めました。その三輪車とヘルメットを近年になって掘り起こし展示したものであり、小さな子どもでも容赦なく戦争は命を奪っていくということを物語っていました。また、息子にも同じように印象に残った場所を聞くと、彼は人々を惨殺し、橋の欄干をなぎ倒し、建物の鉄扉を曲げる程の爆風、熱風の中で原爆ドームが残っていたことに驚いていました。

動員学徒慰霊塔には学徒動員作業中に亡くなった全国の生徒への慰霊が込められている【広島】

 戦後66年経った現代で、核兵器保有国の配備している原爆と、広島・長崎に投下された原爆を比べると、当時の原爆はおもちゃのようだと科学者が言っているそうです。そのように威力の増した原爆を使用した戦争や、もしくはそれを悪用したテロが現代社会で起きないように、そしていまの平和を維持できるように世界がもう一歩、前へ進むときではないかと思います。また、原爆体験者による話は、あまりにも現実とかけ離れているため、話を聞いているときは恐怖を感じても、時間が経つと自分とは関係ないどこか遠い場所での物語になってしまうような気がしました。このような現代社会とのギャップが、戦争の残酷さを風化させていくような気がしました。今後、風化させないためにもピースアクションという平和活動を継続していただき、来年以降も様々な方に参加していただきたいと思います。

原爆ドーム(広島県産業推奨館)【広島】

 このような貴重な体験をさせていただいた、フード連合ならびに関係者の皆様方ありがとうございました。

「組合活動を通じて後輩たちへ平和の尊さを伝えていきたい」
広島食協労働組合 田中 教
山里小学校防空壕前、広島食協労組の田中さん【長崎】

 この度は、長崎平和行動へ参加する機会をいただき、ありがとうございました。また、本部の方々、長崎地区協の方々、そして、羽田先生には大変お世話になりました。こころから感謝を申し上げます。
 私は、長崎へいくことは今回で2回目となります。中学生の時に、修学旅行で初めて訪れてから18年が経つことに気がつきました。路面電車が通り、坂道の上にある美しい平和公園から風情ある街並みが見られたことを記憶しています。1571年にポルトガル船が来てから、海外文化の伝来地として発展したこの街も、66年前のあの日から長崎の人々と一緒に力強く復興してきたことを感じることができました。

被爆当時の地層を見る【長崎】

 しかし、核兵器は世界中にまだ2万3000発あるといわれています。最近でもオバマ政権のもと未臨界ながらも核実験はおこなわれ、核廃絶の未来が今だ見えないことに不安を感じずにはいられません。
 私は、原爆落下中心地公園で1平方メートルあたり17トンもの爆圧により押しつぶされた家を見ることになりました。それは、家屋の原型はなく台所にあった炊事道具などが溶けてくっついているだけの木の塊でした。そして、羽田先生からの被爆体験を聞き、原子爆弾がもたらすその破壊力の恐ろしさをあらためて知ることになりました。熱線・爆風・放射線と、一瞬にして7万人以上の生命を奪い、66年経った今でも被爆者を苦しめています。

原爆資料館で戦争の恐ろしさを視る【長崎】

 さらに、浦上刑務所に収監されていた外国人の事実は、あまり知られてはいないでしょう。朝鮮から強制連行された人たちがとりわけ多く、厳しい労働を強いられていた中に原子爆弾が投下されました。その遺体は最後まで引き取り手がなく、カラスに食べられていった数多くの屍は、戦時中に差別を受け続けた朝鮮人達の姿です。

爆風に傾いた旧長崎醫科大学正門門柱【長崎】

 このような悲劇が二度と繰り返されないように、我々も、しっかりと恒久平和を訴え、行動をしなければなりません。冒頭、主催者挨拶で山田局長から「平和でなければ働けない、平和がなければ安心して暮らすことができない・・・」という話をいただきました。平和行動は、まさに労働運動の根幹となる行動だと思います。いまこそ広島・長崎にある我々の労働組合が世界に向けて平和を訴えなければならない時だと思います。

強烈な爆風に耐え奇跡的に立ちつづけている一本柱鳥居【長崎】

 最後に、美しい港街でたくさんの組合の方々と交流できたことが、この夏一番の思い出となりそうです。フード連合からこんなにも多くの参加があったことは、各単組の平和運動への関心の高さを示すものだと感じました。われわれも広島の労働組合として、世界へ恒久平和を訴えていくことをあらためて決意しました。今後も、組合活動を通じて後輩たちへ平和の尊さを伝えていきたいと思います。
 広島食協労組も、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて活動していくことを誓います。
 ありがとうございました。

連合・原水禁・核禁会議「核兵器廃絶2011平和ヒロシマ大会」に参加しました【広島】 連合・原水禁・核禁会議「核兵器廃絶2011平和ナガサキ大会」に参加しました【長崎】