核兵器廃絶をめざして!! 被爆した建物や橋や瓦や樹木は、私たちに64年前の惨状を語ります ― ピースアクションin広島 2009年8月4〜6日 ― ― ピースアクションin長崎 2009年8月7〜9日 ― (8月4日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
― 広島 1945年8月6日午前8時15分 ― 長崎 1945年8月9日午前11時2分 一発の原子爆弾による熱線と爆風と放射線により、広島14万人、長崎7万人の方が亡くなりました。原爆による被害の特質は、大量破壊と大量殺戮が瞬時に無差別に引き起こされることで、放射線による障害が64年経った今でも人々を苦しめています。
今年のピースアクションin広島では、全国から85名が参加、ビデオ学習「君たちはゲンバクを見たか…」の後に、夜勤明けで寝床に入った直後に被爆した新宅勝文氏から、原爆直後の生々しい実相を聞きました。新宅氏は、つらくて話す事のできなかった惨状を「今、次の世代に伝えていかなくては」との思いで昨年から被爆体験講話を始められたそうです。
永続する「平和」は私たちの願いです。平和に無関心であれば、「自分が関係することについて自分が発言できる」という民主主義を守ることはできません。さらに、平和が壊れれば、これまでの歴史にあるように労働組合は弾圧され、民主主義は消え、労働者の労働条件や賃金を守るどころではなくなります。戦争で人が人を殺すという行為はまさしく人権破壊です。
そのためには、もっと過去を知らなければなりません。 戦争の実体験の話を聞くことのできる時間は限られています。
ジャパンファーム労働組合 屋 健悟 平安時代後期、平清盛によって修築された寝殿造りの厳島神社がある世界文化遺産のある広島…この美しい町に64年前惨劇は起きました…。 今回、ピースアクションに参加して、原爆に対する考えが変わりました。今までは、過去の出来事は自分には関係がないものだと、心のどこかで考えていました。しかし、被爆者の方の話を聞いて、実際の原爆が自分の想像を絶するものだと強く感じました。
福留ハム労働組合 中島 修一 私は、8月4日の「ピースアクションin広島」に引き続いての参加でした。福留ハム労働組合は広島に本部を置き、また私自身、広島生まれ広島育ちで、小さい頃から平和学習や平和記念公園、原爆ドーム、原爆資料館などに身近に触れる機会があり、他県の方々よりはある程度知識を持っているという思いで、今回参加しました。 しかしながら、第1日目「平和を考える学習会」で、語り部である羽田麗子さんが戦争体験、被爆後の長崎の惨状を語るのを聞き、語られる内容の生々しさもさることながら、その静かに抑えた口調と毅然とした態度に、戦争と原爆に対する怒りと、2度と戦争を起こしてはいけないという強い思いが感じ取られ、胸が熱くなるのを感じました。
この中で特に印象的だったのは、高校生平和大使の一年間の活動成果報告でした。彼らは、アメリカ・ニューヨーク国連本部やスイス・ジュネーブ欧州本部を訪問し、核兵器廃絶と平和な世界の実現を訴えて、その真摯な言動は国連でも高い評価を得て成果をあげています。そのスピーチの中で「微力だけど無力じゃない!」という言葉を聞きました。これは高校生平和大使の合言葉にもなっているそうです。まっすぐ前を向いてスピーチする態度とその言葉にハッとさせられました。
その後、フード連合の参加者で「平和を考える交流会」が行われ普段会うことのない単組の方々と交流の場を持ち、有意義な時間を過ごしました。 第2日目は、長崎市内の被爆地ゆかりの建造物を巡る「ピースウォーク」でした。8月の暑い中で体力的にも不安がありましたが、1日目に引き続いて語り部の羽田さんが我々と一緒に歩いて、一つひとつ丁寧に教えて下さり、戦争と被爆の傷跡が残るこの街の歴史を決して忘れてはならないという気持ちを強くしました。その後3日目の「原爆犠牲者慰霊式典」に出席してすべての日程が終了しました。
もう一つは、社会人として様々な企業に属して労働し、生活する、または組合を通じて労働条件を高める活動を行う、それらの根幹には平和な社会がなければ決して成り立たないという事です。何を当たり前の事をとおっしゃられる方も多いと思いますが、過去の歴史を振り返ると戦争と平和の繰り返しが積み重なっているように思います。この「ピースアクションin長崎」のような平和活動を通じ、地道でも戦争と被爆地の悲惨さと平和の大切さを伝える事は、これから戦争を知らない世代ばかりになる中で益々重要になると感じました。 最後に組合活動を通じ、平和学習と労働組合の多くの仲間と横のつながりが持てた事に感謝し、活動報告を締めくくらせて頂きたいと思います。ありがとうございました。 以 上
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