64年前、沖縄は"いくつもの地獄をぶちまけたような"戦場でした ― ピースアクションin沖縄 2009.6.21〜23 ― (6月21日) | ||||||||||||||||
沖縄は、日本で唯一住民を巻き込んだ地上戦があった地です。 1945年4月1日、のべ54万人のアメリカ軍は、日本本土攻略の足がかりのため沖縄戦を開始、"畳一畳に百発"といわれるほどの凄まじい砲弾を浴びせました。沖縄は日本軍に「本土決戦の準備が整うまでの時間稼ぎの『捨て石』作戦」の場として見捨てられました。ゆえに老幼婦女子まで「根こそぎ動員」され、14歳から19歳の男子学徒たちは「鉄血勤皇隊」として軍の物資の運搬などに、女子学徒は「ひめゆり学徒隊」として戦場に動員され看護活動にあたりました。
6月23日、牛島司令官が自決したことで組織的戦闘は終わりました。しかし、牛島司令官は自決前、生き残ったものに「降伏せず、最後まで戦え」と命じたことで、その後も戦闘状態は続き、犠牲者が増加しました。8月15日の敗戦も知らず捕虜を恐れて9月まで壕から壕へ逃避行していた人もいました。
フード連合では、平和を考えるための行動「ピースアクションin沖縄」を毎年開催しています。 今年は、全国から57名が参加し、@平和ガイドの新垣文代さんによる講話聴講、A沖縄戦の実相を伝えるビデオ学習、B激戦地であった南部戦跡廻りによる平和学習を行いました。南部戦跡廻りでは、平和の礎、平和祈念資料館、ひめゆり資料館、野戦病院壕として使用された糸数壕、ひめゆり学徒隊自決の地の荒崎海岸を歩き、過去の追体験をしました。 今年の初め、荒崎海岸では、ひめゆり学徒隊の校章が発見されました。戦争の悲惨さを風化させたくない学徒たちの想いが現われたようです。 http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-01-11-M_1-020-1_002.html?PSID=32710f9ea2704dd16ea3c98c75d7f8ca 「ピースアクション」は、8月の広島、長崎、9月の根室へと続きます。 「ピースアクションin沖縄」へ参加して ニチレイ労働組合 富田幸世
平和学習のために訪れる沖縄は2回目ですが、フード連合主催の戦跡廻りは初めてで、その中でも「糸数壕(アブチラガマ)」に入り、漆黒の闇、足場の悪いこの場所で、日本軍と住民との悲惨な現状があったこと、ガイドの方の説明を聞きながら空気感を肌で感じ、胸が苦しくなりました。語り部の新垣さんからは、戦争体験者のお父様を通じて戦争が終わっても、体験者も、またその家族も精神的な辛い想いは止まない、戦争が生むその後の苦しみを知り、過去を知り、命の尊さを思い、平和を願う気持ちを未来へつなげる使命が今生きている自分たちにあるのだと改めて実感しました。
ピースアクションは、毎年、沖縄・広島・長崎・根室で行なわれています。今後、他の地域の活動にも参加してみたいですし、できるだけ多くの方にこの活動に参加して頂き、この想いを感じて頂けたらと思います。 以 上
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