そして 生き残った人々の 悲しみ 苦しみ は、今も 続いています
― ピースアクションin広島 2008年8月4〜6日 ―
― ピースアクションin長崎 2008年8月7〜9日 ―

谷口稜皣氏は背中全面を火傷、1年9ヵ月うつ伏せのまま生死をさまよいました【長崎】


 その日、いつものように暑い青い空の下、うるさいくらいのクマゼミが鳴き響き、人々は、戦時中だとはいえ、日々の生活を続けていました。
ある人は兵器工場での仕事中―、ある人は郵便配達の途中―、ある子どもはセミ取りに熱中して―。
 その時、一発の原子爆弾により、町が、家が、幾万もの尊い命が破壊されました。
 ― 広島 1945年8月6日午前8時15分
 ― 長崎 1945年8月9日午前11時2分

高橋昭博氏より広島の原爆被害を聞く【広島】
 フード連合では、平和を考えるための行動「ピースアクションin広島」、「ピースアクションin長崎」を毎年開催しています。
 ピースアクションin広島では、全国から67名が参加、ビデオ学習「君たちはゲンバクを見たか…」の後に、元広島平和記念資料館館長 高橋昭博氏から“その時”の絵を見ながら原爆被害の話を聞きました。高橋氏は、1980年に原爆を投下したエノラゲイの機長に会ったそうです。その時、機長は「自分は軍人だから命令が出たら同じことをするだろう。だから、戦争は絶対してはいけない。」と言ったそうです。

大久野島のこの施設では風船爆弾がつくられていました【広島】
 また、ピースアクションin広島では、日本陸軍が毒ガスを製造し地図からも消されていた「毒ガス島」大久野島の戦争遺跡廻りや、連合の平和シンポジウムやピースウォーク(平和記念公園廻り)に参加しました。

爆心地公園【長崎】
この500メートル上空で原子爆弾が炸裂しました
 ピースアクションin長崎では、全国から52名が参加、長崎被爆協会長 谷口稜曄氏から原爆被害の実相を聞きました。谷口氏は「歴史を忘れたら再び同じことを繰り返す。皆さん、今日知った事実を伝えていって欲しい。」と訴えられました。その後、被爆直後の実写フィルム「ナガサキの少年少女たち」によるビデオ学習、翌日は長崎地区協の案内により被爆建造物・慰霊碑めぐりピースウォークを行いました。

「ピースアクションin広島に参加して」
沖縄コカ・コーラ労働組合 大城和基
大久野島で毒ガス貯蔵庫跡を見る大城さん【広島】
 私の故郷沖縄は復帰36年を迎えましたが、米軍再編で沖縄の軍事基地はますます強化され、事件・事故は後を絶たない状況が続いています。基地のない平和な島と訴えながら我々県民は、5・15平和行進などの平和運動をやり続けています。

 今回、【ピースアクションin広島】8月4日〜8月6日(3日間)に参加できるとの事で自ら志願し参加させていただきました。平和を考える学習会「君たちはゲンバクを見たか」(ビデオ学習)・原爆被害者の実相証言(語り部)高橋昭博氏の体験談について語ってもらい、特に印象に残ってるのが、原爆投下前に一緒にいた友人らが原爆投下後には皆亡くなっていて、かろうじて生きている友人も時間と共に次々と目の前で亡くなってしまったこと、又、原爆の恐ろしさ(熱線・爆風・放射線)の中で生き延び、一命は取り留めたものの、その後は後遺症をわずらい、毎日病と闘っているとのことです。
 又、連合「核兵器廃絶2008年平和ヒロシマ大会」や大久野島バスツアー(毒ガスの島)を体験しました。
 広島というとやはり思いつくのは原爆ドームです。今まで、TVや新聞紙でしか見たことがなく、間近で原爆ドームや爆心地、又は献花台へと足を運びました。

 原爆にしろ戦争にしろもう何度も過ちを繰り返してはならないことを、我々はそのことを風化させずに後輩に正しく継続していく責任を、すごく感じさせられました。

※ しかし今現在、世界には2万発以上の核兵器が存在することは、現実です。

「ピースアクションin長崎に参加して」
名糖産業労働組合 蔵本寛基
川畑さんと蔵本さん【長崎】
山里小学校「あの子らの碑」にはたくさんの千羽鶴が奉納されていました
 私はフード連合ピースアクションin長崎に8月7、8日の日程で参加致しました。
 過去に大きな戦争があったこと、長崎と広島に原爆が投下されたこと等が何となく知識として入ってきた小学校中学年の頃、両親に連れられて長崎の原爆資料館を訪れ、原爆の発した熱で融解したガラス瓶に人間の手の骨が張り付いているのを見た衝撃は、今でも鮮明に覚えています。その後、中学・高校でも平和学習ということで戦争の被害・加害について学び、戦争の悲惨さ、平和の尊さを充分に感じていたつもりでした。しかし、社会人として生活していると戦争や平和について考える機会はほとんどなく、幼い頃に感じた気持ちは頭の片隅に追いやられていたように思います。
 今回、ピースアクションin長崎への参加要請を受けた際、そのように思ったことと、長崎が父の故郷であり、私にとって愛着のある街であったことから参加を決めました。
 実際に2日間のプログラムに参加してみて、平和について今一度考え直す良い機会となりました。特に被爆された方々の体験談等は、自分も人生経験を少しばかり上積みしたからか、幼い頃とは感じ方が異なり、より強く心に突き刺さりました。戦争の悲惨さを後世に伝えて行かなければいけない、唯一の被爆国である我々が世界に核兵器廃絶を訴えて行かなければいけないと再確認することとなりました。
 ただ、連合主催の「核兵器廃絶2008平和ナガサキ大会」では若干の違和感を覚えてしまいました。ひたすら平和を訴えている方々を見て、戦争が起こってしまう根本的な原因から目を背けているように感じたからだと思います。違和感が残ったまま帰路についたわけですが、今ではあの大会の趣旨はあれでよかったのだと考えています。年代によっても感じ方は違うでしょうが、あの場にいた全員で平和を願う気持ちだけは一つにし、それぞれが家や職場、学校に持ち帰って、戦争の原因から、どうすれば戦争をせずにすむのかということを考える一つのきっかけになっているのだと思うからです。このように普段考えないことを考えるようになった自分を見て、有意義な活動に参加できたなと感じております。
 最後に、今回の活動を運営して下さったフード連合の組織中小局及び長崎地区協の皆様にお礼申し上げます。ありがとうございました。

ピースアクションin広島
 
連合平和ヒロシマ大会に参加しました【広島】
 
広島平和記念資料館前にて【広島】
翌日の平和祈念式典の準備が整っていました
ピースアクションin長崎
 
連合平和ナガサキ大会に参加しました【長崎】
 
平和祈念公園・平和の泉【長崎】
「体内まで焼けただれた被災者は『水を』『水を』と叫びながら死んでいった」